世界はもっと面白いはずでしょ

服と写真が好きな女の子の備忘録

ひいおじいちゃんとサヨナラしました。

久しぶりのブログはめちゃめちゃプライベートなお話です。 

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タイトルの通り、先月ひいおじいちゃんとお別れをしました。95歳でした。

 

最後にひいおじいちゃんと会ってお話をしたのも先月、ひいおばあちゃんの七回忌をしたとき。

 

さすがに95歳なので同じ言葉を繰り返したり少しボケてるところはあったけど、杖があれば1人でも歩けるし「ゆうほが結婚するまでは死ねない」と言ってくれるほど元気でした。

 

「じいちゃん、次会うときまで元気でいてね!」

 

とお別れをした数日後の深夜、病院に運ばれて亡くなってしまいました。

 

死因は「老衰」

 

健康で元気だったおじいちゃんは、そこまで苦しむことも辛い思いもすることなく旅立ちました。

 

「きっと、ひいおばあちゃんが迎えにきたんだ」

 

そう思うと、お別れはもちろん寂しいけど少し温かい気持ちになれたし、家族全員が元気な姿も見れて会話もできた直後だったので後悔なく見送ることができました。

 

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ちなみに私は「仕事忙しい〜結婚したい〜」とか言ってる間に気づいたら30歳になってるタラレバ予備軍だと自負しています。それでも今の所いつかは結婚できると思ってるし、出産もできると信じています。

 

でも、ひいおじいちゃんとお別れをしてから少しだけ考えが変わったというか、新たに思うことがありました。

 

それは、お父さん・お母さんはもちろん、家族が元気なうちに自分の子供を見せてあげたいということ。家族みんなに優しくて愛されてたひいおじいちゃんは、灰になる前6人の孫と9人のひ孫に囲まれていました。

 

その光景を見たときに、誰かと結婚して、子供を生んで、子育てをして、大人になった子供がまた誰かと結婚する。

 

そんな所謂当たり前・普通と言われる人生を過ごすことは本当にすごいことなんだなと感じました。同時に、家族に囲まれて旅立つことってすごく幸せな最後なんじゃないかなとも思いました。

 

生き方も多様になってきいるこの時代、結婚するだけが、子供を生むだけが幸せじゃないのは分かってる。体が不自由になるまで長生きする意味もないんじゃないかなって思うときもある。

 

それでも家族を愛して愛されたひいおじいちゃんの人生は、95年生きた意味があったんじゃないかな。

 

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その幸せを親に感じて欲しいし、自分も感じられたらいいなって思ったりしたのでした。